目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの"人間的本質"web kikaku
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u138.html
梅田さんとまつもとひろゆきさんの対談の中で、梅田さんが感銘を受けた言葉として次のようなものが載っていた。
引用:
(オープンソースに参加する人たちの動機についての文脈の中で)
「でもその周囲に集まってきて、プロジェクトに貢献する人々の動機はいったい何か」
私はまつもとに問うた。まつもとからは、私が一度も考えたことのない答えが返ってきた。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u138.html
梅田さんとまつもとひろゆきさんの対談の中で、梅田さんが感銘を受けた言葉として次のようなものが載っていた。
引用:
(オープンソースに参加する人たちの動機についての文脈の中で)
「でもその周囲に集まってきて、プロジェクトに貢献する人々の動機はいったい何か」
私はまつもとに問うた。まつもとからは、私が一度も考えたことのない答えが返ってきた。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」
この言葉を見て、梅田さん同様、深い感銘を受けた。
小学2年生のころかな?コンパスをはじめて手にした。
そのコンパスを使って2cm四方の正方形の角から1/4の弧を描く。そしてその対角からも1/4の弧を描く。
すると正方形の中にはラグビーボールのような形が現れる。そのラグビーボールの面積を計算することに1週間くらい熱中していた。
1週間も熱中したことからわかるとおり、決して勉強ができるわけではなく、その問題解決の過程が楽しかった。おおよそ検討がつくかと思うが、その時は、正方形の面積から半径2cmの円の面積を1/4にした値を引き、その2倍の値を正方形の面積から引いた。
このときの快感ったらなかった。これが自分にとってはじめての問題解決を行うことの喜びを知った瞬間だったと思う。その後にチャレンジした、4角すべてから弧を描いたときにできる図の面積はいまだに求め方がわかっていない(笑)
小さいころから問題の本質を探ること、原理を知ることには興味が強かったんだと思う。今、仕事をする中でも、それは良い面でもあり、時間/原価を無視した行動としてあまりよろしくない面でもある。
そして、今、社会人5年目を直前に控えた私の仕事には本質/原理を追求すべき課題がそう多く存在しなくなっている。要は、如何に効率的に、如何に高品質なものを提供するかが課題であり、それがまったく面白くないというわけではないのだが、正方形の中の図の面積を求める計算よりも面白みがない。
唯一興味が強く引かれるものがあるとすれば社内の教育か?
今2年目の後輩は正直なところ自分が2年目のときよりも知識の習得量であったり、仕事に対する考え方が弱いように感じてしまう。しかし、彼らにとっては今の自分こそが2年目の社会人なのであり、自分はもうすでに4年目であり、案外当時の自分を見れば今の2年目の彼らよりも酷いものであるかもしれない。
だから、今の彼らはまったく悪くなく、自分がそう感じるのであれば、当時自分が先輩から色々と与えられたように機会を与えてあげるのみなのである。それも具体的な手法ではなく、具体的な手法を創造できるような原理であったり本質であったりを感じることができるように彼らの意識のベクトルをよりよい方向に向ける機会を与えるのである。概ね彼らは疑問を感じない。疑問こそが知識の源だと思う(これも梅田さんの言葉だったろうか?)。疑問が発生する機会を与える。そこには彼らの抱える問題点を見つけるという、正方形の4角から弧を描いた図の面積を求めるような、自分にとっては非常に難解な課題が存在する。自分にとってもその課題こそが自分を高めるチャンスになっていると思える。
今日、とある案件の納品が完了した。この案件のメンバーはすべて後輩で、後輩からは色んな相談があった。それは技術的なものによることがほとんどであったが、その度に、根本的な本質的な話しをしてきたつもりである。それが今日、後輩からの感謝のメールとともに、小さな芽生えを感じられる
言葉になって届いた。久々の快感だった。
もしかすると今の会社にいるのは数年かもしれない。今後もこんなおせっかいなことをできる限り多くの後輩に伝えることがこれまでお世話になった方々に対する自分なりのケジメである。
話しを戻します。
私はまつもとひろゆきさんの言葉のとおり、「適度な大きさの複雑な問題」を求めているんだと思う。
それが今は先述の教育であったりFlashというものに向けられているんだと思う。
そしてすでにこのブログでも書いた通り、あと2年弱後が更なる複雑な問題を求めて環境を変える機会になりそうな予感がしている。
小学2年生のころかな?コンパスをはじめて手にした。
そのコンパスを使って2cm四方の正方形の角から1/4の弧を描く。そしてその対角からも1/4の弧を描く。
すると正方形の中にはラグビーボールのような形が現れる。そのラグビーボールの面積を計算することに1週間くらい熱中していた。
1週間も熱中したことからわかるとおり、決して勉強ができるわけではなく、その問題解決の過程が楽しかった。おおよそ検討がつくかと思うが、その時は、正方形の面積から半径2cmの円の面積を1/4にした値を引き、その2倍の値を正方形の面積から引いた。
このときの快感ったらなかった。これが自分にとってはじめての問題解決を行うことの喜びを知った瞬間だったと思う。その後にチャレンジした、4角すべてから弧を描いたときにできる図の面積はいまだに求め方がわかっていない(笑)
小さいころから問題の本質を探ること、原理を知ることには興味が強かったんだと思う。今、仕事をする中でも、それは良い面でもあり、時間/原価を無視した行動としてあまりよろしくない面でもある。
そして、今、社会人5年目を直前に控えた私の仕事には本質/原理を追求すべき課題がそう多く存在しなくなっている。要は、如何に効率的に、如何に高品質なものを提供するかが課題であり、それがまったく面白くないというわけではないのだが、正方形の中の図の面積を求める計算よりも面白みがない。
唯一興味が強く引かれるものがあるとすれば社内の教育か?
今2年目の後輩は正直なところ自分が2年目のときよりも知識の習得量であったり、仕事に対する考え方が弱いように感じてしまう。しかし、彼らにとっては今の自分こそが2年目の社会人なのであり、自分はもうすでに4年目であり、案外当時の自分を見れば今の2年目の彼らよりも酷いものであるかもしれない。
だから、今の彼らはまったく悪くなく、自分がそう感じるのであれば、当時自分が先輩から色々と与えられたように機会を与えてあげるのみなのである。それも具体的な手法ではなく、具体的な手法を創造できるような原理であったり本質であったりを感じることができるように彼らの意識のベクトルをよりよい方向に向ける機会を与えるのである。概ね彼らは疑問を感じない。疑問こそが知識の源だと思う(これも梅田さんの言葉だったろうか?)。疑問が発生する機会を与える。そこには彼らの抱える問題点を見つけるという、正方形の4角から弧を描いた図の面積を求めるような、自分にとっては非常に難解な課題が存在する。自分にとってもその課題こそが自分を高めるチャンスになっていると思える。
今日、とある案件の納品が完了した。この案件のメンバーはすべて後輩で、後輩からは色んな相談があった。それは技術的なものによることがほとんどであったが、その度に、根本的な本質的な話しをしてきたつもりである。それが今日、後輩からの感謝のメールとともに、小さな芽生えを感じられる
言葉になって届いた。久々の快感だった。
もしかすると今の会社にいるのは数年かもしれない。今後もこんなおせっかいなことをできる限り多くの後輩に伝えることがこれまでお世話になった方々に対する自分なりのケジメである。
話しを戻します。
私はまつもとひろゆきさんの言葉のとおり、「適度な大きさの複雑な問題」を求めているんだと思う。
それが今は先述の教育であったりFlashというものに向けられているんだと思う。
そしてすでにこのブログでも書いた通り、あと2年弱後が更なる複雑な問題を求めて環境を変える機会になりそうな予感がしている。


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