ビジネスの最近のブログ記事

まだかっちりと何か具体的な論点もないし、当然結論もないけど、今、ふと、「存在意義」と「標準化」の対義性、半定立、矛盾と呼べるようなものが頭に浮かびました。

「存在意義」は自分が自分であるために必要なものの1つで、自分にしか出来ないこと、自分でなければ駄目なこと、というのがわかりやすい表現かな。誇張ではなく、生きるための活力の1つと言えると思う。
それに反し「標準化」とは一定の性能、品質等を求め、ものづくりであれば誰がやっても同じものが出来るのが理想となる。教育における画一化も同義に感じる。

中小企業では標準化が求められる。それが極端に進むと企業における自己の「存在意義」が薄れてしまうように感じる。「存在意義」は先にも書いたとおり、活動する上でのエネルギーの1つと思う。
企業で標準化にばかり目を奪われると、標準化の対象となる社員は企業における存在意義を失っていき、現場からは活気が失われるのでは?整備された環境よりも、ほどよくカオスな環境の方が、個人の裁量が強制されるような仕事の進め方になり、存在意識も強制される。

例えば、
標準化:俺が休んでも仕事がストップしないような体制がとられている。任せて休もう。
カオス:俺が休んだら仕事ストップしちゃうよー。俺がいなきゃ駄目だー。
みたいな。

こう考えると、「標準化」対「カオス」が妥当か。その先に存在意義がある感じかも。
標準化では画一化された手法、制度の整備とともに、カオスに存在するプラスの効果も十分に踏まえる必要があるのかもしれない。


...、という思い付き。まったくまとまりのない文章になってしまった(笑)
思いついてからここに書くまで10分という薄っぺらい考えではあるので、もうちょい考えてみたいと思う。

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